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ようするに

安倍様には逆らうなと言う事か?

そのうち安倍様夫妻がやる事は、特定秘密保護の対象になったりしてな。

そういえば、昨日の夕刊フジの見出しは、「安倍、怒りの反撃」となってたな。

こわーい!こわーい!

久しぶりです。

風邪ひいてます。

咳とくしゃみが酷く、

夜になると熱が出るので、

お医者さんから薬を貰いました。

飲んで3日目から…(T-T)

悪夢を見るんです…(T-T)

何故か殺される夢…。

もう、もう、怖いです。

そして、夢って解ってるので体を起こそうとしている自分が…。

これって…端からみてたら、

うなされて、

体を揺らして、

危険行動ですよねきっと…。

もう、薬飲むの止めようかな…(T-T)

効きすぎている気がする…(T-T)

あと2時間

恵比之江公園。駐車場は満車。台数が圧倒的に少ないのが原因だけど…人数はものすごく少ない。(ノ゜ο゜)ノ

作り直しを!

やり尽くしたでしょう。

そういう感じがします。プラモの話なのですが、もうプラモになるべき航空機は全部出ていて、後に残っている「実在はしたけれでもプラモになっていない」航空機というのは試作機・実験機の類で、そういうものは最低でも数千個は売らないとならない通常のプラモにはなりません。できません。しなくてよいです。変態がガレージキットで作っていればよいものだもの。

ところが、ここで奇妙な現象が起こっていて、それは「メジャーな機体ほどプラモは作りにくい」ということです。例えば航空自衛隊の主力戦闘機F-15イーグル。最もポピュラーな1/72という縮尺では、もう30年も経つキットが「最新」です。現在の眼からは特に作りやすさという点で決して満足なものではありません。

旧西側の傑作、F-4ファントム系列は実物で5,000機以上が生産されましたが、これも同様の30年前のキットが最新です。多くの形式を作れるキットとなっているために、そこを区別しながら作る必要があり、さらにこのために機首が別部品である等のネックがあります。

それにひきかえ、例えばイギリス海軍の「ワイバーン」という雷撃機は、実物がたったの50機ほどしかないのに、プラモになったのが3年前ですかね。5年前ですかね。パチパチとあっと言う間にできるものになっています。いや、それはおかしいよな。

このところ首をかしげざるをえないのが、1950年代、60年代の古きよきアメリカの戦闘機はもう半世紀も前に出たものを作らないとならないのです。基本的によいキットなので、今日でも通用するものはありますし、上手な人が時間をかければよいものがモノにできるのですが、F-101「ブードゥー」や、F-106「デルタダガー」等のノスタルジックな機体があんな古いキットしかない、というのは理不尽な感じさえするほどです。

ここへきて、イギリスの老舗「エアフィックス」というメーカーが、自社で古いキットを出していた機体について、新しいキットを出すようになりました。もちろん新金型です。カタチにするのも大変だった古い古いキットを、もう作った人、今コツコツと手を入れている人には災難ですが、これは非常な英断だと感じました。

まあ、もともとエアフィックスの旧キットなんて、文字通り箸にも棒にもかからないもので、なまじあるから他メーカーが出してくれない、などという悪口の対象だったものなので、継続しても売れはしなかったのですが、このあたりの思い切った判断を日本のメーカーもしてくれないかな、と願います。

もちろん、日本のメーカーはそんなことをして採算の取れるものならとっくにやっている、と言うことでしょうが、もうプラモになるようなものが出尽くしている以上、目先の採算ではなくて、「ロングテール」で長く売ることのできるものを考えないと、プラモなんて今以上に売れなくなってしまいますよ。

アメリカ空軍の「センチュリーシリーズ」や、F-4F-15が2週間くらいでできるパチパチキットになってくれたらなあ。オレたちだったら発狂したように買って作るけどなあ。もちろん今の値段とは言わない。このご時勢だから、4,000円や5,000円するのはしかたがないよ。どうしても無理なのかなあ。

ベトナム訪問の前から

「皇后さま、帯状疱疹と診断 ベトナム訪問前に背中の痛み:朝日新聞デジタル」

 皇后さまはベトナム・タイ訪問前の先月中旬から右の背中に痛みがあり、ベトナム訪問中に痛みが悪化。

帰国後に宮内庁病院で精密検査を受けたが、特段異常はなかった。

http://www.asahi.com/articles/ASK3J5TYPK3JUTIL03X.html

皇后さま 帯状疱疹で服薬治療

痛みはあるが入院はせず、服薬治療などを続けている。

今後の公務は予定通り行うという。

昨日。

昨日は都内で行われた社会保障政策に関する勉強会に出席。

帰宅後は海外の社会科学誌に投稿する論文の執筆作業を行った。

素質は平凡でも、非凡な努力で道を極める。

場外ホームランを放つには、場外での努力が不可欠。

さて、今日も力強く歩もう。

夕方Dフィットネスの空き地で粘土はやらないで家の近所で折ってきたブーゲンビリアの花の小枝を粘土に突き刺して水彩でスケッチした。ビン等に入れて花を描くのは不便だから塗らした粘土に突き刺すことがよくある。

ブーゲンビリアの花びらは貝のようにたった二枚である。花びらは薄く硫酸紙のように透けている。たった二枚の花びらなのに描くと複雑である。二時間半かかった。これは「ボレロ」の女性が手に持っている花のための習作である。

家に戻って飲み屋で考えていた。今後人物像は等身大の粘土の像を作ってそれに衣服を着せて描こうかなと。非常に手間取るが衣装は実際のものを見て描く方がレアリティーをもつ。いまどきの人は写真を使うがぼくは頑固に絵に写真を使わない。それは美術史の中で写真などなかった時代のほうが優れたものを残しているからである。

写真と言うのはレンズから入った光を乾板に映したもので、ちょうど人間の目が瞳孔から入った光を網膜と言うスクリーンに映したのと同じである。ここからが問題で、網膜に映った像は脳神経で取捨選択され、変更される。これが見るということであり、写真はそうではない。写真にそっくりな絵を描くということは人間の能動的な選択以前のものを写しとるので何の価値もない。このことはもっと深く考えているので後日に展開したい